
武蔵常盤
2026.8.13
第二回「始末した経営」とは何か。10年間の経営で学んだ「分を弁える」ということ

武蔵常盤株式会社は、2026年8月で創業10周年を迎えました。
第1回では、フリーランスから法人を創業し、オンプレミスのシステム開発からクラウド、Salesforceへと、時代の変化に合わせて歩んできた10年間について書きました。
今回は、少し技術から離れて、
「会社をどう経営してきたのか」
について書いてみたいと思います。
私が会社を経営するうえで大切にしてきた考え方の一つに、
「始末」
があります。
近江商人の商いについて学ぶ中で知り、自分なりに実践してきた考え方です。
「始末」という言葉から、
「節約する」
「倹約する」
「できるだけお金を使わない」
という意味を想像する方も多いと思います。
しかし、10年間会社を経営してきて、私が考える「始末」は少し違います。
始末とは、単に我慢することではない。
そして、
分を弁えるということは、小さくまとまることでもない。
では、「始末した経営」とは何なのか。
10年間の経験を振り返りながら考えてみたいと思います。
近江商人から学んだ「始末」
会社を始めた頃、私は近江商人の商売について学びました。
近江商人というと、
「三方よし」
という言葉がよく知られています。
売り手よし。
買い手よし。
世間よし。
商売は自分だけが儲かればよいのではなく、買い手にも、社会にも価値がなければならない。
この考え方は、現在の企業経営にも通じるものがあります。
そして、もう一つ私が大切にしてきたのが「始末」です。
入ってくるものを考えずに、出ていくものを増やさない。
必要なものと、必要ではないものを考える。
自分の分を弁える。
会社を経営する以上、非常に基本的なことです。
しかし、実際に経営してみると、この「分を弁える」ということは意外と難しいものです。
売上が増えると、会社も大きくしたくなる
事業が少しずつ軌道に乗ってくると、できることが増えてきます。
もっと人を増やせるかもしれない。
もっと立派なオフィスを借りられるかもしれない。
新しい事業もできるかもしれない。
会社らしい設備も欲しくなる。
売上が増えると、
「もっと大きくできるのではないか」
と考えるのは自然なことだと思います。
しかし、現在の売上が来年も続くとは限りません。
特にIT業界は変化が速い世界です。
案件が終わることもあります。
顧客の方針が変わることもあります。
昨日まで価値があった技術が、数年後には当たり前になっていることもあります。
だから私は、
収入に応じた経営をする
ということを大切にしてきました。
その結果として、10年間黒字だった
武蔵常盤株式会社には、この10年間、会社としてまだ経験していないことがあります。
それは、
「赤字」です。
赤ペンで文字を書くという意味ではありません。
収入より支出が多くなる、あの赤字です。
創業から現在まで、結果として黒字経営を続けることができました。
ただ、私はこれを、
「10年間黒字なのだから、経営が上手だった」
という話にしたいわけではありません。
爆発的に売上を伸ばしたわけでもありません。
急激に会社を大きくしたわけでもありません。
むしろ、
自分たちの収入と能力に応じた経営をしてきた結果、赤字にならずに10年間続けることができた。
という方が実感に近いと思います。
黒字は目的というより、結果です。
「始末」と「ケチ」は違う
では、赤字にならないために、
「とにかくお金を使わなければよい」
のでしょうか。
私は違うと思っています。
お金を使わなければ、確かに支出は減ります。
しかし、必要な投資までしなくなれば、会社は次の時代へ進めません。
IT企業であれば、技術は変わります。
新しい技術を研究する。
必要なサービスを契約する。
開発環境を整える。
資格を取得する。
クラウドを実際に使ってみる。
Salesforceを研究する。
AIを研究する。
こうしたものには、お金も時間も必要です。
ここを惜しんでいたら、
数年後には、お客様が求めている仕事ができなくなるかもしれません。
だから、
「使わない」のが始末なのではありません。
必要なところには使う。
必要のないところには使わない。
その判断をすることが始末なのだと思います。
「分を弁える」は、我慢することではない
私は長い間、
「分を弁える」
ということを大切にしてきました。
しかし、この言葉も誤解されやすいと思います。
分を弁えるというと、
「身の程を知って、大きなことをしない」
「冒険せず、小さく生きる」
という意味にも聞こえます。
しかし、それではIT企業として変化できません。
武蔵常盤株式会社も、
オンプレミスからクラウドへ。
クラウドからSalesforceへ。
そして現在はAIを活用した開発方法の研究へ。
変化してきました。
これらはすべて、新しいことへの挑戦です。
ですから、
分を弁えることと、挑戦しないことは違います。
むしろ、
自分の分を識っているからこそ、どこに挑戦するべきなのかが分かる。
私は今では、そう考えています。
でしゃばって失敗したこともある
もちろん、10年間ずっと適切な判断ができたわけではありません。
でしゃばって失敗したこともあります。
「自分たちならできる」
と思って手を出した。
良かれと思って、本来の役割以上のところまで踏み込んだ。
新しい可能性があると思って始めたものの、
「こんなはずじゃなかった」
と思ったことも何度もあります。
だから、
「私は最初から自分の分を完全に理解していた」
という話ではありません。
むしろ逆です。
失敗することで、自分の分が少しずつ分かってきた。
という方が正しいと思います。
「できること」と「やるべきこと」は違う
ITエンジニアとして経験を積むと、できることが増えます。
会社も同じです。
10年間事業をしていれば、
「あれもできる」
「これもできる」
というものが増えていきます。
しかし、あるとき気づきました。
「できること」と「やるべきこと」は同じではない。
技術的にできる。
多少は利益が出る。
世の中で流行している。
他社が成功している。
それだけでは、
「武蔵常盤株式会社がやるべき仕事」
とは限りません。
これは、経営を続ける中で非常に重要な気づきでした。
自分の商売の本質を識る
そして私は、「分を弁える」という言葉を、以前より少し広い意味で考えるようになりました。
単に、
「自分にはここまでしかできない」
と限界を決めることではありません。
自分の商売の本質を識ること。
これが、本当の意味で「分を弁える」ということではないかと思っています。
自分たちは何をする会社なのか。
誰に価値を提供するのか。
何によって価値を提供するのか。
何を得意としているのか。
そして、
何をしないのか。
それを理解することです。
武蔵常盤株式会社は何をする会社なのか
武蔵常盤株式会社は、IT企業です。
Javaを使ってきました。
クラウドを使ってきました。
Salesforceにも取り組んできました。
現在はAIも活用しています。
しかし、
Javaを使うことが、私たちの商売の本質ではありません。
AWSを使うことでもありません。
Salesforceを使うことでもありません。
AIを使うことでもありません。
これらは、時代とともに変化する「手段」です。
では、何が本質なのか。
10年間仕事をしてきて、現在私が考えているのは、
「技術によって、お客様の目標達成に寄与すること」
です。
お客様が実現したいことを理解する。
そのために必要な技術を研究する。
自分たちが持っている技術を組み合わせる。
必要なら、新しい技術を学ぶ。
そして成果を提供する。
これが私たちの仕事です。
本質が分かれば、手段を変えられる
これは一見すると不思議なことですが、
変わらないものがあるから、変わることができます。
もし、
「武蔵常盤株式会社はJavaを書く会社である」
ことが本質だったら、Java以外へ進むことは難しくなります。
「オンプレミスシステムを作る会社」
であれば、クラウドへの変化は自分たちの存在を否定することになります。
しかし、
お客様の目標達成に技術で寄与する
ことが本質なら、手段は変わって構いません。
オンプレミスが適していた時代にはオンプレミス。
クラウドが必要になればクラウド。
Salesforceが適していればSalesforce。
そしてAIが有効ならAIを使う。
守るべきものと、変えるべきものを区別する。
これも「始末」なのだと思います。
お金だけではなく、時間も「始末」する
会社の経営資源は、お金だけではありません。
時間があります。
人があります。
技術があります。
経験があります。
信用があります。
特に小さな会社にとって、
時間は非常に重要な経営資源です。
何を研究するのか。
どの仕事を受けるのか。
どこまで自分たちで行うのか。
何を他社にお願いするのか。
何をやめるのか。
これらを判断しなければなりません。
何でもやろうとすれば、時間はいくらあっても足りません。
だから、
何をやるのかを決めることと同じくらい、何をやらないのかを決めることが重要です。
「始末した経営」は、小さくなるための経営ではない
私は、
「始末した経営」=会社を小さくしておくこと
とは考えていません。
必要なら人を増やします。
必要なら投資します。
必要なら新しい事業にも挑戦します。
大切なのは、
なぜ、それをするのか。
です。
見栄のためなのか。
世の中で流行しているからなのか。
他社が成功しているからなのか。
それとも、
自分たちの商売の本質に必要だからなのか。
ここを考える。
そして必要なら、きちんと使う。
不要なら、使わない。
挑戦するべきなら挑戦する。
違うと思えば撤退する。
これが、現在私が考えている「始末した経営」です。
黒字は「目的」ではなく「結果」
創業から10年間、結果として黒字経営を続けることができました。
これはありがたいことです。
しかし、
黒字にすることだけを目的にすれば、必要な投資までしなくなるかもしれません。
反対に、
成長することだけを目的にすれば、身の丈を超えた投資をするかもしれません。
どちらでもない。
お客様に価値を提供する。
その対価として適正な利益をいただく。
その利益を、次の技術や人材、事業のために使う。
そして、またお客様により良い価値を提供する。
商売を継続できる形で循環させていく。
その結果として黒字が続いた。
私は、その順番を大切にしたいと思っています。
「始」と「末」
「始末」という言葉には、
「始」と「末」
があります。
会社を始める。
新しい技術を始める。
新しい事業を始める。
何かを「始める」ことには、大きなエネルギーがあります。
しかし、経営をしてみると、
始めたものをどう続け、どう末まで持っていくのか
の方が難しいことに気づきます。
武蔵常盤株式会社も、まだ10年です。
これから何年続くのかは分かりません。
そして、10年後に今と同じ仕事をしているとも思っていません。
しかし、
自分たちの商売の本質を識る。
その本質に必要なものには投資する。
本質から外れたものには、むやみに手を出さない。
そして、時代が変われば手段は変える。
これからも、そんな「始末した経営」を続けていきたいと思っています。
次回:SESで身につけたのは「現場力」だった
では、
「技術によって、お客様の目標達成に寄与する」
ためには、エンジニアに何が必要なのでしょうか。
私自身のキャリアは、SESのシステム開発現場から始まりました。
さまざまな現場に入り、異なる技術、異なるお客様、異なる役割を経験する中で身についたものがあります。
私はそれを、
「現場力」
と考えています。
次回は、
「SESで身につけたのは『現場力』だった。一つの技術に安住しないエンジニアという生き方」
について書きたいと思います。